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岐阜地方裁判所 昭和57年(ワ)414号 判決

原告 甲野花子

〈ほか二名〉

右原告三名訴訟代理人弁護士 清田信栄

被告 株式会社 篠田鋳造所

右代表者代表清算人 篠田隆利

右訴訟代理人弁護士 西村諒一

主文

一  被告は、

1  原告甲野花子に対して、金一〇二八万九三九九円とこれに対する昭和五六年一〇月一日以降支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を

2  原告甲野春子及び同甲野夏子に対して、各金五一四万四六九九円ずつとこれらに対する昭和五六年一〇月一日以降支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

二  原告三名の被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その二を原告甲野花子の、その一ずつを原告甲野春子及び同甲野夏子の、その六を被告の、各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、原告らにおいて、仮にこれを執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、

(一) 原告甲野花子に対して、金二〇七四万六四九九円とこれに対する昭和五六年一〇月一日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を

(二) 原告甲野春子及び同甲野夏子に対して、各金一〇三七万三二四九円ずつとこれらに対する昭和五六年一〇月一日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの被告に対する請求は、全部これを棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告(以下、便宜「被告会社」という。)は、肩書地に本社・工場を置き、被告会社の所有する該工場建物において鋳物製造等の業務を営む株式会社であり、他方、訴外亡甲野太郎(以下、単に「甲野」という。)は、昭和五年七月一二日生れの男性で、昭和四九年四月二二日以降引き続き被告会社に熔解工として雇用されて稼働していたが、昭和五六年一〇月一日午前六時五八分ころ死亡するに至った。ところで、原告甲野花子(昭和九年一二月二日生れ、以下、単に「原告花子」という。)は右甲野の妻であり、原告甲野春子(昭和二七年一〇月二一日生れ、以下、単に「原告春子」という。)は右甲野と原告花子との間の長女であり、また、原告甲野夏子(昭和三二年一二月六日生れ、以下、単に「原告夏子」という。)は右甲野と原告花子との間の二女であって、原告三名が右甲野の相続人である。

2  事故の発生とその状況

(一) 被告会社の前記工場建物は、東西約一五〇メートル、南北約二七メートルの概ね長方形の建物であって、このうちの熔解作業場は、コンクリートの一般工場床よりも約二・四メートル上方の位置に設けられた東西約九・四メートル、南北約二四メートルの熔解作業床(縞鋼鉄板製)と、同熔解作業床の西端線直下付近からその西方数メートルの間にわたって位置する炉前作業床(コンクリートの一般工場床、以下、単に「工場床」ともいう。)とから成り立っており、右熔解作業床には鋳鉄原料を熔解するための電気熔解炉(四基)などが設置され、また、右炉前作業床には熔解作業床の西端線直下部分よりもやや西方の位置に残湯入れ(熔解状態の鋳鉄を収納するための容器)などが設置されている。

(二) 甲野は、昭和五六年九月三〇日午後三時五分ころ、被告会社工場建物の前記熔解作業床上で熔解工としての作業に従事していたが、同時刻ころ、該作業遂行の一環として、熔解作業床上の西端付近から、その下方の炉前作業床(工場床)で炉前工としての作業に従事していた訴外後藤好治に対して、約二・五キログラムのシリコン入り容器を手渡そうとした際、熔解作業床上から下方約二・四メートルの炉前作業床(コンクリートの工場床)上に転落し、そのために、脳挫傷・硬膜下血腫・左肋骨骨折・左血胸の重傷を負い、同年一〇月一日午前六時五八分ころ前記傷害の故に死亡するに至った(以下、右事故を単に「本件事故」という。)。

(三) 本件事故の発生状況は以下のとおりである。すなわち、

(1) 甲野は、前記熔解作業床上の西端部分から、片手に持ったシリコン入り容器を約二・四メートル下方の工場床上に起立している右後藤好治に手渡すにあたって、自ら中腰になって下方にかがみ込むような姿勢をとることを余儀なくされた。

(2) 甲野においては、自ら右のような不安定な姿勢をとるにあたり、その不安定な姿勢を支えるに足りるようななんらかの固著物を片方の手で掴んで、これに自己の身を託すという必要があった。

(3) しかしながら、その当時、溶解作業床の西端付近には、このような姿勢で作業をする熔解工の体を支えるために特別に設置された定著物がなかったため、甲野は、従来と同様に、該作業床の西側端付近にある熔解炉傾動用レバーを片手に握持して、これに身を託して、前記のように不安定な自己の姿勢を支えようとした。ところが、このとき、突然、このレバーが折損し、その結果、甲野は、約二・四メートル下方の工場床上に転落して、本件事故に遭遇するに至った。

3  被告会社の責任

(一) 被告会社は、自己の被用者である甲野をして前記熔解作業床で前記のような作業に従事させるにあたって、いやしくも同人が転落事故というがごとき危険な事故に遭遇することのないよう、該作業床の西側端に堅固な手すりを設置するなどの有効な安全対策を講ずべき雇用契約上の義務を負担していたものというべきである。それにもかかわらず、被告会社が、該義務の履行を怠ってこのような安全対策を講じなかったために、結局、本件事故の発生をみるに至ったのであるから、本件事故は、ひっきょう、被告会社の雇用契約上の安全対策義務の不履行(債務不履行)に起因して発生したものというのほかはなく、したがって、被告会社が本件事故に基づいて甲野の被った損害を賠償すべき責任を免れ得ないものであることは明らかである。

(二) のみならず、本件事故の発生現場である前記2のごとき熔解作業場の構造、とくにそのうちの熔解作業床の構造などに徴すると、本件事故は、該作業場の設置又は保存上の瑕疵に起因して発生したものと評価すべきであるから、該作業場の所有者(同時に占有者)である被告会社が本件事故に基づいて甲野の被った損害を賠償すべき責任を免れ得ないものであることは、民法七一七条一項に照らして、明らかであって疑いを容れない。

4  甲野の被った損害

以下(一)ないし(三)の合計額金四二四三万〇九二七円

(一) 葬儀費用  金七〇万四二七九円

(二) 逸失利益

金二六七二万六六四八円

(1) 甲野は、昭和五年七月一二日生れの男性で、同人が本件事故の年の前年である昭和五五年中(一年間)に挙げた収入の総額は金三一六万一四八四円であった。

(2) 甲野は、本件事故当時五〇才であったから、もし、本件事故に遭遇して死亡するというようなことがなかったならば、以後、少なくともその平均就労可能年数である一七年間にわたって働くことが可能であったものというべく、この間、引き続き昭和五五年における前記の年間収入額金三一六万一四八四円を下廻らない収入を挙げることができた筋合というべきである。

(3) そこで、甲野の前示平均就労可能年数一七年間の逸失利益について、右の昭和五五年中における総収入金額を基礎とし、かつ、ホフマン式計算法による年五分の中間利息及び甲野自身の生活費割合三割をそれぞれ控除して、右の逸失利益額を本件事故当時の現在価額に換算すると、これが金二六七二万六六四八円となることは左記計算式(なお、本件におけるホフマン係数は一二・〇七六九である。)に徴して、きわめて明らかである。

3,161,484円×12.0769×0.7=26,726,648円(但し、円未満切捨て、以下同じ。)

(三) 慰謝料     金一五〇〇万円

甲野が、本件事故によって前記のような重傷を受け、しかも、その結果、扶養を要する妻子(すなわち、原告三名、とくに、原告春子は身体障害者であって、三〇才を超えた現在においてもいまだに独身である。)を残して死亡するに至ったことによって味わわされた心身両面にわたる苦痛はとうてい筆舌に尽くしがたいものがあったものというべきであるから、その慰謝料額としては、これを金一五〇〇万円と評価するのが相当である。

5  損害の一部填補

以下(一)ないし(四)の合計額金四七三万七九二九円

(一) 金七〇万四二七九円

右金員は、前記4の(一)の葬儀費用に対応する金員であるが、該費用は被告会社が出捐した。

(二) 金四〇万八六〇〇円

甲野の相続人である原告三名は、いわゆる労災保険から、甲野の葬儀料として、右金員を受領した。

(三) 金三〇〇万円

甲野の相続人である原告らは、いわゆる労災保険から、遺族特別支給金として、右金員を受領した。

(四) 金六二万五〇五〇円

甲野の相続人である原告らは、いわゆる労災保険から、遺族年金(昭和五六年一一月から昭和五七年四月までの分)として、右金員を受領した。

6  甲野の死亡による原告らの相続

(一) 甲野が本件事故によって被った損害総額は、前記4のごとく合計金四二四三万〇九二七円であるところ、他方、これまでに、該損害総額のうち金四七三万七九二九円について一部填補が行われたことも第5項に記載したところによって明らかであるから、甲野が被告に対して取得した損害賠償請求債権額のうちいまだに填補されていない金額が差引金三七六九万二九九八円となることは計算上きわめて明らかである。

(二) しかして、原告三名は、甲野が被告会社に対して取得した右(一)の末尾記載の金三七六九万二九九八円の損害賠償請求債権を甲野の相続人としての法定相続分に従ってそれぞれ相続・承継したから、該債権金額を原告三名のそれぞれの法定相続分に応じて配分すると、原告花子の相続分が金一八八四万六四九九円となり、原告春子及び同夏子の各相続分が各金九四二万三二四九円ずつとなることもまた計算上明らかである。

7  本件訴訟の提起・追行によって原告三名が負担・出捐すべき弁護士費用

原告三名は、被告会社が原告らに対して負担する前記6の(二)のごとき各損害賠償金支払義務を任意に履行しなかったため、弁護士清田信栄に本訴の提起・追行方を委任するのやむなきに至った。しかして、原告らが右弁護士に対してその支払いを約諾した報酬金の総額は金三八〇万円であるところ、該金員総額のうち、原告花子の負担すべき金額は金一九〇万円であり、原告春子及び同夏子の負担すべき金額は各金九五万円ずつである。

8  よって、原告花子は、被告会社に対して、前記6の(二)の金一八八四万六四九九円と前記7の金一九〇万円とを合算した金二〇七四万六四九九円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日(昭和五六年一〇月一日)以降支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるために本訴請求に及んだものであり、また、原告春子及び同夏子の両名は、それぞれ、被告会社に対して、前記6の(二)の各金九四二万三二四九円と前記7の各金九五万円とを合算した各金一〇三七万三二四九円ずつ及びこれに対する前記昭和五六年一〇月一日以降支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるために本訴各請求に及んだものである。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は、これを認める。

2  請求原因2の(一)の事実は、これを認める。同2の(二)の事実は、そのうち、甲野の死亡日時に関する部分はこれを認めるが、その余の部分は全部これを否認する。同2の(三)の事実は、全部これを否認する。

3  請求原因3の主張はこれを争う。

4  請求原因4の(一)の事実と同4の(二)のうちの(1)の事実は、いずれもこれを認める。同4の(二)のうちの(2)と(3)の主張はこれを争う。同4の(三)の主張は、これを争う(なお、そのうちの事実に関する主張部分は知らない。)。

5  請求原因5の各事実は、すべてこれを認める。

6  請求原因6の主張は、これを争う(もっとも、甲野の相続人が原告三名であり、その相続分割合が原告ら主張のとおりであることは、これを認める。)

7  請求原因7の事実は、そのうち、原告三名が本件訴訟の提起・追行を弁護士清田信栄に委任した旨の部分は、これを認めるが、その余の部分は、これを否認する。

8  請求原因8の主張は、これを争う。

三  抗弁

1  過失相殺

仮に、請求原因2の(二)と(三)の各事実が肯認でき、したがって、本件事故の発生について被告会社の側になんらかの雇用契約上の債務不履行責任(過失責任)があるとしても、本件事故は、被告会社の過失と甲野の後記のような過失とが競合したことによって発生したことが明らかであるから、過失相殺の法理の適用により、被告会社の原告らに対する損害賠償義務の範囲は、甲野の過失割合に応じて減額されるべきが当然である。すなわち、

(一) 甲野は、熔解作業床の西端付近から、その下方約二・四メートルの工場床で炉前工としての作業に従事していた訴外後藤好治に対してシリコン入り容器を手渡すにあたり、同人がすでにこれを受け取るべき態勢にあることを十分に確認し、しかるのちに、同人に対してこれを手渡すべきであったのにもかかわらず、軽卒にも、該注意義務を怠り、同人がいまだ前記のような態勢にはなかったのに、同人に対して前示のシリコン入り容器を手渡そうとして、本件事故に遭遇した。

(二) 甲野が、本件事故当時、その片手に掴んでいた熔解炉傾動用レバーは、もっぱら熔解炉を傾動するためにのみ使用さるべきものであって、これが他の用途に使用さるべきものでないことは当然である。しかるに、甲野は、熔解作業床の西端付近から、その下方約二・四メートルの工場床で作業中の前記後藤好治に対してシリコン入り容器を手渡すにあたり、中腰になって下方にかがみ込むような不安定な自己の姿勢を支えるために、軽卒にも、前記のような熔解炉傾動用レバーを片手に掴んで、これに身を託そうとして、本件事故に遭遇した。

(三) 甲野は、本件事故当時、片手に掴んだ前記熔解炉傾動用レバーをその本来の用法に従って操作するとともに、同時に、これに自己の身を託しながら、前記(二)のような姿勢で、下方(工場床)の前記後藤好治に対してシリコン入り容器を手渡すという作業をも行っていたものである。しかして、このような二個の作業を同時に行うがごときことは、きわめて高度の危険を伴うものであって、かねてから、被告会社が甲野を含む被用者らに対して厳禁していたところであった。しかるに、甲野は、軽卒にも、被告会社の該禁止に背いて右のような作業の方法をとったために、本件事故に遭遇した。

(四) 被告会社は、かねてから、甲野を含む被告会社の被用作業員に対して、労働災害の発生を防止するために、被告会社の支給したヘルメットを作業中に装着すべきことを指示してきた。しかるに、甲野は、本件事故当時、軽卒にも、このヘルメットを装着していなかったか、又は、不完全な装着方法をとっていたために、熔解作業床上から工場床に転落しただけで、最悪の死亡事故に遭遇した。

2  弁済

本件事故に、起因して発生した損害の填補として、すでに、被告会社及びいわゆる労災保険から、原告らに対して、請求原因5の(一)ないし(四)の各金員が出捐された。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の各主張は、すべてこれを争う。

2  抗弁2の事実は、これを認める。

第三証拠《省略》

理由

一  まず、請求原因1の事実と同2の(一)の事実は、いずれも当事者間に争いのないところである。

二  そこで、つぎに、請求原因2の(二)と(三)の各事実の有無について検討してみると、《証拠省略》を総合すれば、右の各事実(すなわち、請求原因2の(二)と(三)の各事実)は、すべてこれを優に肯認することができ(る。)《証拠判断省略》

三  さらに、請求原因3の(一)の点について検討してみると、《証拠省略》を総合すれば、(1)被告会社は、本件事故発生時以前から、その被用者である甲野を含む熔解作業員らをして一般工場床の約二・四メートルも上方に設けられた熔解作業床上で熔解工としての各般の作業に従事させるにあたり、熔解作業床の西側端付近に堅固な手すりを設備するなどの有効な墜落防止対策を講じなければ、右熔解作業員らにおいてその作業中に熔解作業床上から一般工場床上に転落するといういわゆる労災事故が発生する危険性のあることを知り又は知りうべかりし状況にあったこと、(2)かてて加えて、被告会社は、本件事故発生の年の前年である昭和五五年一一月一九日に、所轄の労働基準監督署の係官から、右の熔解作業床について、前示のような有効な墜落防止設備を設けるべき労働安全衛生法上の義務がある旨を指摘され、かつ、該設備を可及的すみやかに設けるべきことを指示されたこと、(3)それにもかかわらず、被告会社においては、本件事故の発生時に至るまで、このような有効な墜落防止設備を設けず、本件事故当時も、従来と同様に右の熔解作業床上において、甲野をして、熔解工としての諸般の作業に従事させていたために、結局、本件事故の発生をみるに至ったこと、以上の事実を肯認するのに十分であり、該認定を左右するに足りるような証拠はない。そうとすると、被告会社は、原告らがその請求原因3の(一)において主張するところに基づき、甲野が本件事故に起因して被った損害を賠償すべき責任(雇用契約上の安全対策実施債務の不履行に基づく損害賠償責任)を免れ得ないものというべきである(もっとも本件事故の発生については、甲野の側にも自己の安全に対する十全の配慮を欠いたという点において若干の過失があったことは、とうていこれを否むことができない。なお、この点については、後記第五項の「過失相殺に関する判断」の欄を参照のこと。)。

四  そこで、以下、原告らが本訴において被告会社に対して適法に請求することのできる損害賠償債権額の範囲を確定するための前提として、甲野が本件事故によって被った損害額の点について検討することとする。

1  葬儀費用(金七〇万四二七九円)

前認定のごとき本件事故のゆえに死亡した甲野の葬儀費用の額が、金七〇万四二七九円であったことは当事者間に争いのないところである。

2  死亡による逸失利益(金二三七〇万六〇七一円)

(一)  甲野が昭和五年七月一二日生れの男性で、本件事故の年の前年である昭和五五年中における同人の収入総額が金三一六万一四八四円であったことは当事者間に争いがない。

(二)  されば、甲野が、もしも、本件事故に遭遇して死亡しなかったならば、同人は、本件事故当時(当時五一才)から通常男性と同じく六七才までの一六年間にわたる平均就労可能期間を通じて、一年間につき、少なくとも昭和五五年中におけると同じく金三一六万一四八四円の収入を挙げることができた筋合である、と推認すべきである。

(三)  そこで、甲野の前示平均就労可能年数一六年間の逸失利益について、右の昭和五五年中における総収入金額を基礎として、ホフマン式計算法による年五分の割合による中間利息及び甲野自身の生活費割合三割五分(後記3に説示する甲野の家族状況に徴すると、甲野自身の生活費割合は、これを三割五分と認めるのが相当である。)をそれぞれ控除して、右の逸失利益を本件事故当時の現在価額に換算すると、これが金二三七〇万六〇七一円となることは、左記計算式(なお、本件におけるホフマン係数は一一・五三六である。)に徴して、きわめて明らかである。

3,161,484円×11.536×0.65=23,706,071円

3  慰謝料(金一三〇〇万円)

甲野は、前認定のごとく本件事故のゆえに請求原因2の(二)のような重傷を負い、しかも、そのために、該事故日の翌日にあたる昭和五六年一〇月一日、その妻子である原告三名(なお、《証拠省略》を総合すると、甲野の長女である原告春子は、現在すでに三〇才を超えているのに、不幸にもその知能程度が劣ることなどのために、いまだに婚姻もしていないし、就職もしていないことが認められ、該認定を左右するに足りるような証拠はない。)を残して死亡するに至ったものであって、甲野がこのことのゆえに味わわざるを得なかった精神的・肉体的苦痛がとうてい筆舌に尽くしがたいものであったことは、もとより容易にこれを窺知できるところである。そして、これに対する慰謝料としては、右の事情のほか、甲野の年令などをも総合考量して、金一三〇〇万円が相当である、と認められる。

4  以上1ないし3に説示した金額を総計すると、本件事故によって甲野の被った損害額の合計が金三七四一万〇三五〇円となることは、計算上きわめて明らかである。

五  過失相殺に関する判断

1  まず、本件事故の発生状況については、すでに第二項において認定判示したとおり(請求原因2の(二)と(三)と同旨)である。

2  ところで、被告会社は、まず、その「過失相殺の抗弁」の(一)において、甲野は、訴外後藤好治に対してシリコン入り容器を手渡すにあたり、同訴外人がいまだこれを受け取るべき態勢にはなっていなかったのに、甲野が、同訴外人の態勢・挙動についての確認を怠り、漫然と同訴外人にシリコン入り容器を手渡そうとしたために、本件事故に遭遇した旨を主張し、《証拠省略》中にこれと同趣旨の記載部分があるほか、《証拠省略》中にも右と同趣旨に窺われる証言部分がないわけではないけれども、これらの記載部分及び各証言部分は、《証拠省略》に対比して、いずれもにわかに措信することができず、他に被告会社の右主張事実を肯認するに足りるような証拠はない。

また、被告会社は、その「過失相殺の抗弁」の(三)において、甲野が、本件事故当時、前記後藤好治に対してシリコン入り容器を手渡しながら、同時に、熔解炉傾動用レバーを操作する、という二個の作業を併行的に行っていた旨を主張し、《証拠省略》中にこれと同趣旨の記載があるほか、《証拠省略》中にもこれに符合する趣旨の証言部分がないわけではないけれども、これらの記載部分及び証言部分は、《証拠省略》に対比して、いずれもにわかに措信することができず、他に被告会社の右主張事実を認めるに足りるような証拠はない。

さらに、被告会社は、その「過失相殺の抗弁」の(四)において、甲野は、本件事故当時、被告会社の指示に背いて、ヘルメットを装着せず、又はヘルメットを不完全に装着したままで、熔解作業床上において熔解工としての作業に従事していたために、熔解作業床上から一般工場床上に転落しただけで、最悪の死亡事故に遭遇した旨を主張するが、弁論の全趣旨と経験則とに徴すれば、甲野は、本件事故当時もまた、ヘルメットを正常に装着していたものと推認するに足り、該推認に牴触するがごとき《証拠省略》は、弁論の全趣旨に対比して、にわかに措信することができず、他に前記推認を覆すに足りるような証跡を見いだすことができない。

以上のとおりであるから、被告会社が「過失相殺の抗弁」の事由として主張する諸点のうち、その(一)、(三)及び(四)の各点は、いずれもその理由がないものというのほかはない。

3  しかしながら、他方、被告会社がその「過失相殺の抗弁」の(二)において主張する事実関係そのものは、さきに認定した請求原因2の(二)と(三)の事実関係と同旨である。そして、さらに、《証拠省略》を総合すると、(1)熔解作業床と炉前作業床(一般工場床)との間には昇降用の階段が三か所に設けられており、本件事故当時もまた、熔解作業床上の熔解工と炉前作業床(一般工場床)上の炉前工との間に行われるべきシリコン入り容器の授受という作業が、これらの工員の双方又は一方においてこの階段を昇降するという方法によって、これを行うことが必ずしも不可能ではなかったこと(もっとも、《証拠省略》によれば、熔解工と炉前工との間に行われるシリコン入り容器の授受回数は、一日あたり四〇~五〇回というような多数回にのぼることが認められるので、このような多数回にわたるシリコン入り容器の授受を右のような階段の昇降という方法によって遂行するとすると、そのことが、右の工員らにとって相当の肉体的負担となるばかりでなく、作業効率もまた若干減殺されるに至るであろうことは容易に推認しうるところである。)、(2)被告会社においても、かつて、関係の工員らに対して、シリコン入り容器の授受は右の階段を昇降することによってこれを行うよう指示したことがあったけれども、この指示は、実際にはほとんど励行されることのないままに推移して、ついに本件事故の発生をみるに至ったこと、以上の各事実を認めることができ、該認定を左右するに足りるような証拠はない。

しかして、以上に説示したような諸事実関係に照らすと、本件事故の当時、熔解作業床上において熔解工としての作業に従事していた甲野としては、墜落事故などの労働災害の危険から自己の安全を確保するために、作業能率の若干の低下と自らの肉体的な負担や疲労の増加という事態を甘受して、もっぱら右の階段の昇降によってシリコン入り容器の授受という作業を遂行すべきであったものというべきである。しかるに、甲野が、本件事故の当時、訴外後藤好治との間のシリコン入り容器の授受にあたって、右説示のような方途を選ばず、請求原因2の(二)と(三)のような方法によってこれを行ったために、本件事故に遭遇したことは前認定のとおりであるから、本件事故の発生については、甲野の側にも、右説示の点において、自己の安全に対する十分な配慮を欠いたという過失があったものというをうべく、ひっきょう、本件事故は、被告会社の前説示のごとき過失に基づく安全対策実施債務の不履行と甲野の右のような過失との競合によって発生したものであることが明らかというべきである。

4  そして、前記のような諸状況をあれこれ総合・勘案すると、本件事故に関する甲野の過失割合は、これを三割五分と認めるのが相当である。

そこで、甲野が本件事故に起因して被った全損害額である前記第四項の4の金額三七四一万〇三五〇円について過失相殺による三割五分の減額をすると、甲野が、本件事故に遭遇して結局死亡するに至ったことに起因して、被告会社に対して取得した元来の損害賠償債権額が金二四三一万六七二七円となることは、計算上きわめて明らかである。

六  一部弁済について

被告会社の主張する抗弁2の事実(弁済の事実)、すなわち、本件事故に起因して甲野の被った損害の填補として、これまでに、被告会社及びいわゆる労災保険から、甲野の相続人である原告らに対して、合計金四七三万七九二九円(その内訳は、請求原因5に記載されているとおりである。)が出捐されたことは当事者間に争いのないところであるから、該金額を第五項の4の末尾記載の金二四三一万六七二七円から控除すると、その残額が金一九五七万八七九八円となることもまた計算上きわめて明らかである。

七  そして、原告花子が甲野の妻であり、原告春子が甲野と原告花子との間の長女であり、原告夏子が甲野と原告花子との間の二女であって、原告三名のほかに甲野の相続人がないこと、原告三名がそれぞれ法定相続分に従って甲野の被告会社に対する損害賠償債権を相続・承継したことは、いずれも当事者間に争いのないところであるから、甲野の被告会社に対する前項末尾記載の損害賠償債権額金一九五七万八七九八円を原告三名のそれぞれの法定相続分割合に従って配分計算すると、左記計算式のように、原告花子の相続債権額が金九七八万九三九九円となり、原告春子及び同夏子の各相続債権額がいずれも金四八九万四六九九円ずつとなることもまた算数上きわめて明らかである。

(1)  原告花子の相続債権額

19,578,798円×1/2=9,789,399円

(2)  原告春子及び同夏子の各相続債権額

19,578,798円×1/4=4,894,699円

八  最後に、弁護士費用の点について検討すると、原告らが本件訴訟の提起・追行を原告らの訴訟代理人である弁護士清田信栄に委任したことは当事者間に争いがないところ、本件事案の内容・経過・本件の認容額に照らすと、本件において、原告らが被告会社に対してその賠償方を正当に求めうる弁護士費用の額は、原告花子のそれが金五〇万円であり、原告春子及び同夏子のそれが各金二五万円ずつである、と認めるのが相当である。

九  以上の次第であるから、原告らの被告会社に対する本訴各請求は、そのうち、(一)原告花子が被告会社に対して第七項記載の金九七八万九三九九円と第八項記載の金五〇万円との合算額である金一〇二八万九三九九円とこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五六年一〇月一日以降支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において、また、(二)原告春子及び同夏子の両名がそれぞれ被告会社に対して第七項記載の各金四八九万四六九九円と第八項記載の各金二五万円の合算額である金五一四万四六九九円ずつとこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五六年一〇月一日以降支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においては、いずれもその理由があるので、これらを正当として認容すべきであるが、その余の各請求部分は、いずれもその理由がないから、これらを失当として棄却することとし、なお、訴訟費用の負担については民訴法九二条本文・九三条一項但書を、仮執行の宣言については同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 服部正明)

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